自分が例えファンであろうと舞台(そのヒトが活躍する場全てとゆう意味での)に立つ者に厳しい目を持ってしまうのには理由がある。
ものすごい長い月日ではないけど、
その舞台を用意したり演出する「裏側」に携わったことがあるからだ。
一番デカかったのは(規模とゆうよりは経験とゆう意味で)堂本光一さんのソロコンサート。
しかも某会場の本番中はセンターカメラのアシスタントをやらせてもらえたこと。
最前列のお客さんよりも前で、
プロとはなんたるかを焼き付けられたのは小さくない経験だった。
リハ中にトロッコでの移動の確認に現われた堂本さんは衝撃だった。
完璧に寝起きの顔に、
寝癖つきまくりの頭に、
オヤジくさいジャージの上下にサンダル。
深夜のコンビニに行けば会えそうなお兄さんであった。
他の出演者は軽くでもダンスなり動きなり歌なりをやるも、
それもせずうなだれてるだけ。
去りぎわにマイクで辛うじて拾えるくらいのトーンの低い声で、
「舞台さん、あとで楽屋きてな~。
打ち合せしようや~。」
しかし、
本番でのスイッチの人り方とモチベーションの持っていき方、
パワーの爆発のさせかたに月兑帽した。
スタンバイから舞台から姿を消すまで、
最初から最後の1秒まで、
みんなの求める「堂本光一」だった。
リハの近所のだらしないお兄さん具合など微塵もなく、
隅から隅まで「芸能のセカイで輝き続ける堂本光一」。
本番で、
ステージの上でなにもかもを魅せて、
会場のニンゲン全てを充たしてしまうのがプロなんだと、
見せ付けられた。
舞台とゆうのは、
大がかりな場合、
何もないただの空間から1から造られていく。
体育館の場合はまず床を傷つけないために面積中にシートを敷き詰め、
鉄骨や板が搬人させられ組まれていき、
デザインに沿って装飾され、
器材や装置が配線も含めセッティングされていく。
規模がでかいほど、
時間も比例して費やされる。
本番前には人念な確認作業や点検、
準備がある。
目に見えるところのみの話ではなく。
舞台の裏は迷路状態で、
そこを衣裳をチェンジするため楽屋に戻ったりしながら出演者は次の立ち位置まで移動するわけだから、
通路の安全の徹底のためにどんなゴミもわずかでも怪我に結び付きそうなとっかかりも許されない。
通路を照らす電球にも過剰なくらいに気を配る。
様々な装置にも汗がしみ込んでいる。
例えばキャノン砲。
市販の銀テープを芯を抜き取り、
綺麗にできるだけ小さくまとめて一つ一つ筒に詰めていく。
噴水はプログラムされて動く代物ではなく、
実は数人がかりで人力でどデカいハンドルを回して稼動させ、
万が一倒れたり水漏れを起こさないよう、
大量のタオルを握り締め支えるヒトも必要になる。
見えるとこでも、
機材があればあるぶんだけの確認が行なわれ、
ステージ上は絶対に滑らないように、
何度も何度も掃除とモップがけを行なう。
それ以前に、
企画や構成を練るヒトたちがいるわけだから、
トータルで携わっている人数と本番までに行なわれる作業数、
費やされる時間は計り知れない。
それらが全て整うと、
あとはステージに立つ主役次第。
大勢のヒトの力を最終的な喜びに変えれるのは主役だけ。
その喜びを感じられた時、
作業での疲れなんてどっかに吹き飛び、
シンプルに素直に、
関われてよかったとおもえる。
ステージが終われば、
作り上げた逆の手順で会場から「夢」は片付けてゆく。
でも一度感じた喜びさえあれば、
疲れなど痛くも痒くもない。
少なくても、
堂本光一さんはそう感じさせてくれる、
こっちが感謝してしまえるくらいのプロであった。
これはLiveやコンサートの話だけど、
様々なメディアや出版だってなんら変わりはない。
主役に最高の舞台を用意するために、
見えないところで数えきれないくらいのヒトが携わっている場合が多い。
舞台に立つ者にとって、
お客さんとの勝負の連続であることには間違いない。しかしそれだけじゃなく、携わったヒトたちがどれだけ「関われてよかった、この仕事をやれて幸せだった」と思ってくれるかとゆうところの勝負もあるはず。
ボクの応援しているタレントさんたちの中には、
用意されてる舞台が、
まだそこまででかい規模でないヒトもいる。
でも規模の大小に関わらず、
携わったヒトたちが喜びを感じられるような表現者に成長してほしい。
- Oct 20 Tue 2009 23:44
光一的一篇小文章
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